知っていたほうがいいかもしれない話

知っていたほうがいいことと、知らないとエライ目に遭いますよ。というネタとかを書いていきますね。

学校と仕事選びは慎重に

私が保育士資格と幼稚園教諭免許を取得した経緯です。

 

私が20代の頃に超就職氷河期だった時代、就活時に手あたり次第面接を受けまくっていたのですが、面接を受ける度に必ず

「保育士資格と幼稚園教諭の免許を持っているのに、何で別の仕事をするのですか」と聞かれ説明に困りました。

私が保育士資格と幼稚園教諭免許をとったにも拘わらず別の道を選んだのは、幼き日のアホな勘違いが全ての始まりでした。

商業高校から一般入試での大学合格を目指す

高校受験を控えた幼き15歳の頃、私は普通高校と商業高校の違いをよくわかっていませんでした。

どこの高校を受験しようかな~と考え始めたそんな時に、兄から
「商業高校に行ったらいいんじゃない。推薦で大学に行きやすくなるよ」

と言われ、そうなのか。じゃあとよく考えずに商業高校を受け合格したので入学しました。

入学後に私は商業高校が就職の準備をする為の学校であり、そこから一般入試で大学に入るのは難しいという事実を初めて知りました。

今よりも、かなりアホだったのです。

私は退学して普通高校に入り直したいと両親に言いましたが、聞き入れてもらえませんでした。
仕方がないので、推薦入試で大学を目指そうとしましたが、不合格でした。

自分でも何故だかよくわからなかったのですが、当時はものすごく大学に行きたいという考えが強かったのです。そこで私は一般入試で入ろうと決意しました。

でも、時代は厳しかったのです。私は第二次ベビーブーム世代だったのです。

第二次ベビーブーム世代と受験戦争

第二次ベビーブーム世代は受験する人数が多いので、その分受験戦争を勝ち抜かなければなりませんでした。

当時は、商業高校には大学受験用の対策は全くなかったので、商業高校から現役で一般入試で大学に入る人はほんの一握りしかいませんでした。

そういう状況だったので、学校の先生にも「かなり厳しいよ」と言われました。でも、どうしても諦められませんでした。

そこで私は腹を決め、普通科目の授業は集中して先生の話を聞いていましたが、商業科目の授業の時は教科書の内側に受験用の問題集を隠して開き、ひたすら勉強していました。

先生には普通にバレていましたが、黙認してくれました。
黙認のみならず、真顔で「あなた、エライね」と褒めてくれる先生もいました。
私があまりにも必死なので、怒るに怒れなかったのだと思います。

そして、受験の申込受付期間になり、両親から「とにかく受けられるだけ受けなさい」と言われたので、沖縄県内の短大を含めた5つの大学を受けることにしました。

受験する大学の専攻を決める際に、「どこに行きたいか」ではなく「どこなら受かる確率が高いか」という基準と

当時、趣味でピアノを習っていたから「保育科」、商業高校だから「商業科」英語が好きだから「英文科」等と深く考えもせず適当に決めてしまったのです。

本命に落ちて滑り止めの2大学に合格する

滑り止めで受かった大学は四年制大学と短大でした。
四年制大学商学部、短大は児童教育科でしたが、私はそれらの、どの大学にも行きたくありませんでした。

両親に「どれにも行きたくないから、浪人させてほしい」と必死に頼みましたが、受け入れてもらえませんでした。

どうせ我慢しなければいけないのなら、期間が短い方が良い。それなら2年で終わる短大かなという感じで、四年制大学ではなく、短大への進学を決めたのです。

この適当な選択により、私にとっては何の面白みもない、苦痛の多い短大生活が始まりました。

地獄の保育実習で死にそうな目に遭う

短大は修得卒業要件単位数≒修得総単位数で選択の余地がなく、それに保育実習が含まれており、忙しすぎてアルバイトする余裕はほとんどありませんでした。

その短大は実践主義を謳っており、実習がやたら多いのです。
当時の保育実習は「現場の保育園でしている仕事を全て体験させる」という、かなり実践的な内容でした。

保育実習は大体1週間から2週間単位で行われ、トータルでどれ位の期間かは忘れましたが、何回かに分けて実施されました。
私にとっては、とてつもなく長〜く感じました。

その頃の私はお子ちゃまかつ自分のことで精一杯だったので、本能のままに生きる子どもを可愛いと思えず「子どもが大嫌い」でした。

実習が終わる度に、私は必ず3日位、40度を超える高熱出しては寝込むという事を繰り返していました。
精神的にもかなり辛く、何度も死にたいと思いました。

その実習のおかげで「自分はこの仕事に向かない」と初めて悟る事ができたのです。

ただ、短大の学費は親が出してくれました。
貧乏性の私は中途退学するとそのお金が無駄になってしまうと考え、何とか耐え抜いて卒業しました。

ザックリ言うと、滑り止めの大学に半強制的に入れられ、そこを出たら

保育士資格と幼稚園教諭免許がもれなくついてきたのです。

誤解のないように一応書いておきますが

以前は子どもが嫌いだった私も、卒業後に世間の荒波にもまれ、大人の世界の醜さを嫌と言うほど見てきたおかげで、少しずつ大人になりました。

次第に、子どもがものすごく可愛いと思えるようになり、今では子どもが大好きです。

でも、今でも私の本能が激しく拒絶するので保育士を生涯の仕事にする気は全くありません。

この仕事は、子どもが好きだからずっと続けられるという単純なものではないのです。
日本全国で潜在保育士が76万人居るという統計データが、それを証明していると思います。