第一集≪南京大虐殺館を見たり聞いたりして得たもの≫第三節2
※これは南京大虐殺記念館にある祭灵泉(故人の死を悼む為の霊泉)の画像です。
最近、健康ネタと第三次世界大戦を目論んでいる日本会議と密接な関係のある、
カルト宗教(と私が考えている)倫理法人会の勧誘に怯え苦しんで情報を求めている方々の心の叫びを感じたので、少々脱線していましたが、南京大虐殺の翻訳を再開します。
以下より第三節の翻訳の続きとなります。
まずは添付資料の翻訳から。
史料陳列
現在、展覧ホールの面積は9,000平方メートルに広がっています。
収蔵されている文化財は一万件余りで、その中の3,000件余りは外部に陳列しており、文献や歴史の写真を含め、ジョン・ラーベと東史郎のような日記などがあります。
南京大虐殺時のアメリカの牧師、国際紅十字会南京委員会主席及び南京安全区国際委員会委員を務めていたジョン・マギーが16mmフィルムカメラを使用して撮影した4巻の映画、大虐殺の時に日本軍が使用していた軍用品などもあります。
デンマーク人のベルンハルト・シンドバーグの書簡と写真もあります。
主な陳列タイトルは≪人類の惨禍ーー中国に侵略した日本軍による南京大虐殺史実展≫となっていて
”南京陥落前の中国の形勢”、
”日本軍による上海から南京までの攻撃”、
”日本軍の南京侵略による中国の城兵南京防衛戦”、
”日本軍による南京での大虐殺”、
”日本軍による南京での強姦と略奪”、
”日本軍による南京での焼却と破壊”、
”国際安全区画は危険である”、
”日本軍が証拠隠滅で損傷した遺体を慈善団体が埋葬した”、
”南京大虐殺の日本戦犯裁判”、
”南京大虐殺の歴史の証言”、
”過去の経験を忘れないで将来の戒めとする”
と11タイトルに分けられており、陳列面積は4,200平方メートルになります。
副次的なテーマの陳列:≪勝利1945≫となっており、陳列面積は1,700平方メートルで、”多くの人の遺骨を埋めた穴”という遺跡が陳列されています。
ホールの中に5つのテレビ・映画ホールを別に設けており、面積は約1,000平方メートル、
主に南京大虐殺に関する抗戦が題材のドキュメンタリーテレビ・映画が放送されています。
以前からあったホールは現在は臨時のホールとして作り変えられており、面積は約800平方メートルになります。
記事
・1983年末、南京市人民政府は記念館の建設の段取りを始めました。
・1985年2月、中国共産党中央顧問委員会の主任鄧小平は南京で記念館名を記しました。
・1985年8月15日、記念館が落成し一般公開されました。
・1995年、記念館は二期の工程に着工し、1997年12月12日に竣工しました。
・2002年12月12日、”歴史の証人の足跡”銅版の道が完成し一般公開されました。
・2005年12月13日、記念館は三期の拡張建設工程の基礎を固め、2007年12月12日に竣工しました。
・2008年5月、記念館は”国家一級博物館”の賞を受賞しました。
・2010年7月、記念館は既に受入累計入場者が延べ2,500万人を超えました。
・2015年5月、利済巷慰安所旧址は修繕を開始し、完成後は記念館の分館として一般公開されています。
この他に、2014から毎年12月13日は中国に侵略した日本軍が中国の同胞を南京で大虐殺した記念館において、南京大虐殺殉難者国家公祭儀式が行われ、
中国共産党中央委員会、全国人民代表大会常務委員会、中華人民共和国国務院、全国委員会、中央軍事委員会、党と国家の指導者が主催者として公祭儀式に出席します。
以前の入り口には鄧小平によって記された記念館名があります。
墓地の広場の≪母親≫の彫刻。
悲嘆に暮れる母親、枯れ木、少しも草が生えない栗石広場、死というイメージを表現していると同時に、周囲の緑樹と青草を互いに比較することで、生と死という主題を構成しています。
1985年に建てられています。
大型に組み合わされた彫刻≪古城の災難≫(一部分)。
壊れている城門、遭難者の打ち落された頭、生き埋めされた腕、欠損している日本軍の刀、破壊、死という視覚イメージを表現しています。
以下は筆者の補足説明になります。
广场上有标志牌、主题雕塑、组合雕塑、冤魂呐喊、灾难墙、和平大钟、祭灵
泉、历史证人的脚印铜板路等等。设计师是华南理工学院的何镜堂,题字是邓
小平。
広場には、標識、主題の彫刻、組み合わされた彫刻、無実の人々の叫び、災難の壁、平和の鐘、祭灵泉(故人の死を悼む為の霊泉)、歴史の証人の足跡の銅版の道など。
設計師は華南理工学院の何鏡堂で、字を書いたのは鄧小平です。
以下是我当时拍摄的照片:
以下は私(筆者)が当時撮影した写真です。
※下記より写真、コメントとも筆者のものとなります。
进门不远处有十来个石雕,下面还有说明。不了解真相的人只看这些就足以义
愤填膺了。以前在网上曾经有国内外参观者对此石雕的客观网评,但不知何时
已被删除得干干净净。
門に入ると遠くない場所に10体の石像があり、下面に説明があります。
真相を理解していない人は、ただこれらを見ただけで義憤に満ちるのでしょう。
以前インターネット上でかつて、国内外の参観者の石像に対する客観的なネットの評価がありましたが、しかし知らぬ間にきれいさっぱり削除されていました。
※以下、石像に書いてある説明の翻訳を太字で表します。
1937年12月13日、残虐窮まりない大虐殺が始まりました!
身に寸鉄も帯びていない庶民が生きる道を求めるには、逃げるほかありませんでした。
ひどすぎる、私の哀れな妻よ!
悪魔に強姦され、刺されてしまった・・・
私達は死んでも一緒だよ!
ーー死ぬ間際まであがくしかない、とある知識分子
悪魔の飛行機が又来て爆撃された・・・
両親とも失ってしまった孤児は、
人でなしの殺声の中
死体が横たわっている場所の坑道の中で
驚くと同時に怯えあがる中、既に無感覚になっている・・・
逃げろ!悪魔が来たぞ・・・
13歳の少年が爆死した祖母を背負って
逃げるーー逃げるーー逃げる
80歳の老婆よ、すぐに血生臭い悪魔から離れないと!
神聖かつ純潔である心が人でなしに凌辱されるなんてことが許されるであろうか?!
死ぬしかない!
死ぬしかない!
死ぬしかこの汚れは洗い落とせない!!
寒い、驚き恐れて泣いているこの子どもが凍り付いてしまう!
哀れな赤ちゃんがどうして母親がすでに刺されて死んでしまったことを知ることができようか。
流れ出た薄い血、乳水、涙はすでにもう溶ける事のない氷となってしまった。
放火し、強奪し、強姦し、生き埋めにし・・・
3ヶ月の小さな孫でさえもあの悪魔に殺されてしまった。
ああ、目を閉じてしまった、安らかに眠ってくれ!
神聖かつ純潔な心の哀れな少年よ!
ーーとある僧侶が逃げている道で行き会った
以下は筆者のコメントになります。
通过艺术煽情显得异常凄惨的石雕再往里走,就是那个空旷阴冷的广场,广场
上多处300000的数字、巨大的十字架、一串串标语牌、造型奇怪的壁垒、警卫
的制服、头顶的雾霾天空,所有的景象都是用黑白灰三个色调组成的。
南屠馆周围的确有一些高层公寓,那位说在公祭日期间不让回家的司机,以前
大概就住在某一个楼里吧?
扇情をあおるような異常で凄惨な石像芸術を通り過ぎ、あのだだっ広い冷やかで厳しい広場に行くと、
広場にはたくさんの場所に300,000もの数字、巨大な十字架、一つ一つ連なっているプラカード、奇抜に作られた壁、警備の制服、頭上にある霧の空、あらゆる光景が全てモノクロの3つの色調で構成されています。
あの公祭日の期間に家に帰れなかったタクシー運転手が言っていた通り、南京大虐殺記念館の周囲には確かに高層マンションがあるので、以前はおそらくそれらの棟に住んでいたのではないでしょうか?
今回の翻訳はここまでにします。
あまりにもえげつない中国共産党の捏造工作に心がブルーになりましたが、こればっかりは真実を1人でも多くの人に知ってもらうしかないと思います。
世界各国でいろんな洗脳が蔓延ってますが、とにかくそれに気付いて欲しいです。
下記のブログ記事を是非ご覧ください。